【連載第3回(全5回)】本業は記者!仕事を持ちながら2,200万円を調達、がん患者のための相談支援の場・マギーズ東京をOPENさせた鈴木美穂さん

今回は、2016年11月19日に開催した「READYFOR OF THE YEAR 2016」という1年に1度のイベントにおいて、READYFOR 代表取締役・米良はるかとReadyforでプロジェクトを実行し、達成させた3名の実行者さまの対談です。70分にわたり、各実行者さまのプロジェクトを起こしたきっかけ、具体的なノウハウについて話し合われました。5回の連載のうちの3回目はNPO法人マギーズ東京・共同代表理事の鈴木美穂さんに「本業を持ちながらクラウドファンディングで2,200万円を調達した秘訣」についてうかがいました。


モデレーター:

READYFOR 代表取締役

米良はるか

お話:

NPO法人フローレンス 

駒崎弘樹氏

HASUNA 代表

白木 夏子氏

NPO法人マギーズ東京 共同代表理事 

鈴木美穂氏

PARTYファウンダー/クリエイティブディレクター 

中村 洋基氏


米良 モデレーターをさせていただきますREADYFOR 代表取締役の米良です。よろしくお願いいたします。次に美穂さんにお伺いしていきます。美穂さんは本当にReadyforのロールモデルだと思っています。美穂さんがイギリスのマギーズを見つけてからReadyforでプロジェクトを始めるまで9ヶ月くらいですよね。

鈴木 4ヶ月ぐらいです。


米良 4ヶ月!4ヶ月でしかも本業がすごく忙しい記者さんで、だけど行動しようと思ってすぐに一歩踏み出て仲間が集まってきて。


鈴木 1,100人から2,200万円。


米良 1,100人から2,200万円を集めて。4ヶ月ですよ、構想期間。本当にすごいなと。働き方とか、生き方の新しさが全部出ているなと思っています。今もそのネットワークをちゃんと続けていらっしゃるのには、相当いろんな工夫があると思います。人を巻き込み、その巻き込んだ人たちをずっとつなげる工夫について、考えていることや意識している部分があったら教えてください。


鈴木 まず私は、じっとしていては何もできないというのが根本にあるんです。なので、最初にイギリスでマギーズセンターを見つけて、これだと最初に思ってカタカナで調べたらマギーズセンターっていうのがあって、出てきた名前が秋山正子さんっていう方だったんです。すぐに訪ねて、会った日に「一緒にやりましょう」って言って今も共同代表なんです。


彼女は訪問看護という分野を築いた今64歳で、私の30以上上の方ですが、もう一緒にやる気で会いに行きました。バラバラでやっても同じことをやりたいのだから。一人でやっていたら、彼女の勢いにつぶされるかもしれない。最初はヒアリングするつもりで、「今どんな状況ですか」と聞いたら「皆さんの中ではすごく必要だという話があるけれど、やはり土地がない、建物が建てられない、何よりも寄付で運営するというモデルが日本は受け入れる文化がないからできない」と一番最初にお会いしたときに言われたんです。「だけど私は一生をかけて日本に持ってくるつもりだ」と彼女は言っていて、5年間細々とご自身でそういうのをやったりイギリスに行ったりされていたんです。


その本気度はすごくて、やはりすごい訪問看護師さんの第一人者なので、聞く耳を持ってくださっていて、本当に「この人だ」って会った瞬間に思ったので、「じゃあ、私が土地と建物とお金を何とかしますよ」「そうしたら一緒にできますよね」「もうこれはできるとしか思えないですよね」って言って始まったのがマギーズ東京なんですね。


土地のこともよくわからない状態でした。ただ、私はやると言ったので、土地は、小さな頃からの知り合いで不動産関係でこの子だ!と思う子に会いに行って、彼女に「ねえ、いい土地ないかな」と聞いたんです。彼女がその日のうちに「この土地がいいよ」と言って持ってきたのが、今建っている土地なんです。彼女がたまたま東京で近かったので、オリンピックまでに医療、福祉、教育、スポーツで何かやりたいという土地があって、各不動産会社のコンペを募集していて、もう締め切りが来週だ、と。


米良 運命ですね。


鈴木 私はまさにこれだと思うと言われて。「今夜どうしてる?」と聞かれて「私、友達の家でホームパーティなんだよね」と言ったら彼女がそのホームパーティに資料を持ってきてくれて。


米良 ミーティングをしたわけじゃないんですね。パーティだったんですね。すごいな。


鈴木 持ってきてくれて見たときに、がん診療の拠点病院とかの中心地だったんですね。「これは来たな」と思って、法人格もないけど、取りあえずこういうことをやるんだと書いて。秋山さんのプロジェクトというかたちで。


米良 で、出してもらった?


鈴木 そうです。彼女が勤めていた会社から出すときには、審査のお願いをして、通って、でも実は通ったけれども、法人格もないのに渡せない、となっていたんです。そうなっていた瞬間にReadyforのプロジェクトをやったんです。今年中に500万、イギリスモデルでやるには企業ではない、助成金でもない、一般だから少なくとも今年中に500万集められたら、と。


米良 そんなことがあったんですか。


鈴木 そういうことで、Readyforでは700万円でやったんです。


米良 今までの美穂さんの人との付き合い方が反映されていますよね。


鈴木 でも友人といっても高校時代の友達で、あの子はたしかこれが有名だったなと、いきなり10年ぶりに電話して、連絡して。学生のインターンで一緒だった子で、そのときにすごい光ってるなと思っていた子にも電話して、プロジェクトページの構図とかコピーライティングをやってもらったり。


米良 そのときに、美穂さんからその話を聞いて、全部お金が出るわけではない中で「よしやるよ」と言ってくれたのは美穂さんの本気度だったんですかね。


鈴木 その人にしかできない、その人ができるはずであることしかお願いしていないんです。雑用はお願いしていないんです。本当にピンポイントで真剣にそうやって言って、断られたことは一度もないです。


米良 やはりその相手のスキルをちゃんと理解しているかどうかは、結構大事そうですね、人を巻き込むときに。

どうチームにしていくか。そのとき何か最後の像はあったんですか?こういうチームにしていきたいという。それよりもプロジェクト単位で何か足りないものがあると「あ、この人だ」という感じですか。


鈴木 いや、そのときは本当に目の前しか見えていなかったので、まずは今足りない人、というのでそれぞれに分担して。マギーズ東京にしたのは、それが全くゴールではなく、そこをきっかけに始まっていかないと一個のセンターだけで社会が変わるわけではないので。オープンまでは、まずは運営チームは、秋山さんのところで日本一プロフェッショナルながん看護専門の看護師さんと臨床センターなど、何度もすり合わせをしてくれるチームを作ってもらうこと。私はお金を集めること、あと土地と建物のところでやっていく。運営と経営みたいな感じで。


米良 あのマギーズ東京ってオープンイベントが1,000人でしたっけ?


鈴木 1,100人いらしたんです。


米良 今まで応援した人たちもたくさんいたと思います。


鈴木 はい。Readyforで。


米良 そうですよね。とにかくそれがそんな大きなかたちになったら絶対みんなうれしいですよね。


鈴木 最初の段階からの本部も何もないところから見てくださっていた人さえ、Readyforにはいるので。


米良 私がマギーズさんは素晴らしいなあと思うのは、コミュニケーションを欠かさないんですよね。しかもそのコミュニケーションがとても丁寧で、大変なところもちゃんと見せていますよね。


鈴木 すべてオープンにする、というのは思っていて。会議をしたら、私は記者なので速報を結構出しています。その日のうちに出さなければ気が済まないし、Readyforさんの「新着情報」で更新していました。重いテーマだからこそ暗いものは絶対出さないというのも、みんなで話し合って、明るく楽しく。暗く辛気臭いイメージを変えていくということもすごく意識して。


米良 日本人が一番亡くなるのががんですけど、ピロリ菌の話もそうですよね、胃がんっていう。今までは重い話、悲しい話だったりするものを、やっぱり巻き込むやり方で、共感が巻き起こっていったなあ、というのを見ていて思ったんです。是非、マギーズ東京さんのプロジェクトページを見てください。Readyforのページでどういうふうに美穂さんが動いていったのかというのは、まさに支援を集めてやっていく人にとっては、一つの教科書になると思います。


鈴木 あのとき、支援してくださる方が一気に増えたのでリターンが足りなくなって、取りあえず知り合いの文房具屋さんに文房具をお願いして、それをリターンにしたり。


米良 でも、そういう姿をすべて見せているところがいいんですよね。



今回は、イギリスのマギーズを知ってから4ヶ月でReadyforでプロジェクトを実行、本業である記者の仕事をしながら1,100名の支援者からの支援金2,200万円を集めてゼロからマギーズ東京を作り、継続させている鈴木美穂さんのお話をうかがいました。次回は5回連載の第4回です。